脅迫電話

脅迫電話

 

脅迫電話とは目的の如何を問わず、相手を電話脅し威嚇する行為をいう。強迫電話ともいう。
ソウル五輪イヤーを迎えた1988年の1月だった。日本陸連幹部から会社(当時ヱスビー食品)に電話があり、私は東京都内のホテルの一室へ呼び出され、こう注意された。

「代表を決めるのは陸連だから、『五輪に出る、出ない』といった話は自分からしないように」

私は2月の東京国際、3月のびわ湖毎日、どちらに出場するかさえ分からない状況だった。自分への信頼を感じつつも、「選考会の準備をしていただけるのなら、全力を尽くします」と答えるしかない立場だった。

ソウル五輪の代表選考レースは87年9月の世界選手権、同12月の福岡国際、88年の東京国際、びわ湖毎日の4つだったが、日本陸連は瀬古を含めた候補選手6人には原則として全員が福岡国際に出場するよう要請。事実上、福岡国際での日本勢上位3人が代表となる一発勝負と受け止められていた。だが、瀬古が11月の東日本実業団駅伝で左足首を骨折し、福岡国際を欠場したため、選考が混迷した

最大のライバルで福岡国際を制した中山竹通くんが「はってでも出てこい」と発言したと報道された。実際は「もし僕が瀬古さんの立場だったら、はってでも出ないと選んでもらえないでしょうね」というニュアンスだったようだ。コメントが曲解されたことで私に対する風当たりは増していった。

びわ湖毎日は優勝したものの、タイムは2時間12分41秒だった。福岡国際で日本勢3番手だった工藤一良くんの記録は私より1分以上速かった。重視するのは順位か、記録か-。選ばれたのは私だった。物議を醸した上での代表入りは、一部で反感を買った。